俺の家庭生活教科書ガイドが俺の凱旋になってやがてオレガイに・・・。その経緯に思いを馳せる。そのときそのときやけに慌ただしいじゃないか?って俺は思ったがすべてはあいつの裁量なのだ。俺はあいつと知り合った頃に実は便箋にしたためた論文をキャロルに見られてしまっている。俺に叱られると思ったのだろう。随分あとに俺に言う。王監督の拘った汗についてを論じていたが、それを訊かれ俺は顔が真っ赤になる。あいつと結婚して子供を設けているのに心底恥ずかしかったのだ。見られてはならないシロモノだったからだ。自分でも字の格好は達筆だといつも誉められてはいたが、人前で話すときに中々ネタが見つからなかった。俺にとっては王監督の言葉が至近距離にあり金言に値した。銀行員は人前で話す機会がメッポー多い。仕事の話なら俺は自信を持って言えたが、こと人生については晩生だった。何しろ標高六百メートルの佐賀富士町の山奥からバンカーになった一発男子だ。運が良かったとしかいえない。俺が言葉足らずでもあいつはすらすらしたためる。俺のこころを読んでこうして記録してくれる。そこが有り難いのだ。デルスカイしておこう。天使のスキープだ。☆俺は竹ソリでスキーをしていたがその快感ってこと☆