この近くに蕗があることを俺は自分で探索して知ったかといえばそうではなくキャロルがいつもこの時期になると、カートを押して来る老人のことを話したからだった。それが何を意味するのか最初はてんでわからなかった・・・。何か、分けるためにすぐ近くの民家に寄り、そこで話を少しして、毎年この時期になると、二回は来て、その民家でお茶でももらって帰ったのだろう。その替わりの蕗の土産だったに違いない。俺はせりを食べて育った世代だ。もちろんトリモチの仕掛けも出来る。しじみも採った。昔はいろんなものを自分の技で獲って食った者だった。自分の仕掛けた場所に鳥が掛かっていたことにはぞくぞくした喜びに震える・・・。タベモノがない時代だった。腹一杯食った記憶がない。だから俺は当時、サツマイモばかり食わされた記憶で、今・・・このサツマイモがどうしても苦手なのだ。山の匂いで俺には何と何が茂っているかすぐにわかる。俺は話を聴いただけで蕗だ!と直感して自然公園への経路を辿る。この前採取したのは半分にも満たず、俺はもう一回は行こうと張り切っている。ゴムの長靴を重宝しない人間には縁のない話ではある。デルスカイしておこう。必要とする者に自然は輝くで、ジャストインホーマーである。