俺は家の中では相当に不遜なことも言っていて、それがもしかしたらウケるのかもしれない。俺が生まれたのが昭和十八年四月というからそれもある。ニッポンが戦争をしているが俺は知らない。赤ちゃんだからだ。俺が二歳四ヶ月で終結したがそんなことは俺に関係ない。しかし一年半だが脇田大佐と同時代を生きていた・・・俺の幸せな部位かもしれない。きっと軍部の人達は先のことにも鑑みず自分達の野望のために一存をまっとうしたかったろうし、それが破綻しただけとしか俺は捉えてはなかった。しかしキャロルと結婚して俺は軍部の駆逐艦のエースと呼ばれた大佐がキャロルの祖父だということをやがて知ることになる。しかし俺にとっての輝ける存在はイチロー選手や王選手であって、何もそこでの進展はなかったのだ。大佐スキー場だって、おうさと読むし、俺はそこまで馬鹿ではない。しかし時代が進捗して、ニッポンに黎明と呼ばれる文化が飛来して来つつあるのだろう。あいつも記憶行為すさまじく英語を習得しようとしている。毎日進化するこのタイムリーな動きに乗れない人間にはなりたくない。それでも無理することはない!大佐サービスエリアだって明日からたいさに変わるわけないように・・・。デルスカイしておこう。オスプレイは逃げられないだ。