俺がしゃかりきになっても拘るのはメタボ検診。あいつがそれを受けるのが大丈夫かどうか俺はチカバの病院に尋ねたら、やはり月末は午前中までだそうで、俺は今日帰ってくれればギリギリセーフでひとまずほっとするのだ。なんであいつはいつもギギリリセーフなのか?これもデルスカイ。六十歳の還暦迎える女性の姿ではないぞ?と怒りたくもなる。親御さん、一体どんな教育したんだ?と不信に思っても致し方ない。花世蝶世と育てられた口。そこを思えば俺はその無責任さに一言も言えなくなる。あいつほどのびのびと自由奔放に育てられた人間はおらずその影響をもろに受けた人間がこの俺だろう。一度あいつのこころの中を覗いてみたいとそう願う。これ以上の自由の極致はないだろう。そういうあいつが継続に試み唯一勝ち取ったのが、したための法則。そこでの勝者と敗者はこうである。あいつに気に入られた者、気に入られなかった者、そしてキャロルに謝罪もしなかった者の末路・・・。この偏向システムにいち早く気が付いたものがいわゆる果てしない勝者である。デルスカイしておこう。花世蝶世である。