俺はあいつにとっての環境の一部になっているんだな、そして生活全般をきちんとフォローする金銭的な補完もする義務があるのだという厳しい暫定に気が付く。今まで感謝の気持ちが俺に足りず、きっと色々な場面であいつのこころを傷つけてしまったのかもと俺は猛省するのだ。夫婦がかねてよりの考え方の基本ではなくなり平等の意味も進化していることに気が付く。俺がこうしなさい!という強制力がまずないのだ。もしも俺が発券した切符でもいいならあいつを帰らせる事は出来るのかもしれない。しかし、わたしの人生は?っていう疑問符を打たれたとき、俺ははたと考え込む。俺の人生とあいつの人生は別個のものなのか?俺は結婚の定義もここにきて翻るとそう気が付く。例えば乗り物だ。あいつは飛行機ダメな派。しかし俺は尋常に飛行機だ。安いし速い。こういったチグハグを軽いことだともはや思えない。ひとつの類型として俺は出しておこうと思う。デルスカイはジェット選考だ。