人間が年をとって伴侶を頼らざるをえないそういう絶対的な危機のとき、俺はキャロルを心底、懇願した。俺は上下の着替えを持ってきてもらった。そして毎日洗濯してもらい新しくなったその下着を病院に持ってきてもらった。わが道を行くライオンでもそういうときには人を頼らざるを得ない。しかしあいつは超クールだった。確かに毎日来てくれた。朝刊も運んできてくれはした。それでも俺はどこか他人行儀な一点を感じてならなかった。あいつは確かに心配はしているのだ。俺の体を・・・。しかしながらモノをしたためることにばかり気が入っていて、それに充当するような俺への愛がなおざりにされているのでは?と寂しかった。作家とは孤独な商売なのだろうか。あいつが入院するときに俺のあのときの孤独な窓辺が再現されるだろう。人を観察し人を書き続ける、それは身内にとって、時には針のむしろのように耐え難いものであることは言ってこう。デルスカイだ。針の薔薇道だ。あいつがサクセス道を切り開くのならそれは俺の苦難の種が咲いた証だろう。