ハウステンボスのお料理と英会話をかませる下柳投手の地元番組観ていて、思ったんだ。英語上達にはやはり外国人の彼がいれば最強だろうな?って。このままではキャロルの英会話はいっこうに巧くならないし。実際に外国人と英語で話す場面で愚の骨頂があらわになるし恥ずかしさの極み。自分はもう英語しゃべれるのは無理なのかなあって。途端に暗くなる。白洲次郎という生き方を読んで、彼をプリンシプルと六文字で標榜しているんだけど、正しく彼こそが風雲児だったんだなあって。トッポキャロ構想だ。時代というボックスのラベルとその人の生き様が合致することがあるとすれば正に白洲次郎という人物とニッポンの戦後だろうとキャロルは総括。しかも夫婦は離れている方が巧くいくという物言いがズバリ当たってて、それに物言いは全く付かない。夫婦とは一体なんだろう・・・。そして結婚とは?夫婦は一生を共にするはずが余りにも相手の本性を知らなさ無すぎる、そのことは若者の結婚観をメイチャーにする。ネイチャーは自然だがこのメイチャーは若干人の手が入っていて迷宮化の意味含む。結婚観がクリアにされ、誰でも気軽に結婚出来るためには何か洗礼のようなものが必要~それがない限りにおいて、結婚観に纏わる懐疑は今後とも払拭されないのだ。