俺の凱旋ことオレガイも今日を含めて今年四日となって月日の速さの目まぐるしさにおおお・・・となる。普段は気がつかない時間の流れが師走ともなればみんなの目にその姿をあらわにする。時間とは本来そういうものなのだ。なんでも先送りにしないという俺の主義だが、キャロル物書きの部位とは合致する。あいつが好きな言葉、符合を使おう。キャロルと俺の唯一の合致点だ。どんな優れた人々の言葉を読んでいてもふと目に浮かぶのは自分の置かれた環境だ。俺は貧しい家で育った。そして小学校三年生で母を亡くす。母は別に女性が外で働くという輝かしい時代が来て働いていたわけではなく六人の子供を路頭に迷わせないように海産物の行商をしていたのだ。幾つもの山を越えてリヤカーを引く仕事は続行した。死因は過労だ。こういう女性の苦難の歴史を俺はきっとキャロが紐解いてくれることをこころのどこかで信じて今あるのだ。デルスカイしておこう、岸壁の婆婆〔バーボラ〕だ。