これだけの熱戦が七ヶ月繰り広げられて、優勝チームが決定して五ヶ月は、テレビを付けても大リーグを観ることはかなわない。ビデオに撮ってない、第一そのビデオすら購入しなかった俺の家である。大黒柱たる俺の権力や家の主たる堂々の存在感が俺に薄れて、どこにでもいる、養子三昧の男の七十代がここにはふんだんにある。威張って過ごした、四十年のバンカーとしてのキャリアも今にして思えば意味があったのか?とさえ、自分を酷評する俺だがこの自分を酷評出来ることこそ大事なんだなって思えてくる。定年して二、三年は気が付かないでいた。しかし三年・・・五年となると俺は自分の存在力について空回りしている思考があることにぎょっとする。どこにも反省の余地などないと決め付けずに、自分の仕事に関する反省点も拾うべきと・・・。そしてニートの偉大さにも気が付く。定職を持たずに日々過ごす人間のこころの図体は結構立派だったりするのだ。この脅威に似ている。キャロルがこの国に大手を振って登場するということは、すべての固定的概念を覆してしまう出来事なのだ。