ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔108〕伯母も父も九十代というバーを軽々超えて逝きましたが、こういった長生きの主権獲得に、今最も興味をキャロルが抱いていて、じぶんを生かすも殺すも寿命次第とそう捉えています。なぜなら、昔のキャロルを知っている人々が見ると驚くと思うのですが、正真正銘、無欲になっています。もしもじぶんが明日亡くなっても全然悔いはありませんし、この全力消耗がキャロルがモノカキとして後生磐石にいく為のコツなんだなあって、無欲、無心、そして疑って掛かる、それに愛情集荷機の気持ち・・・。これはみんながええ?って思うかもしれないけれど、キャロルの書いたものが全員に隈なく配布・・・。これって、アメリカでは考えられないことで、嬉しい悲鳴なのです。個人の肖像権や、著作権が行き届くアメリカではありえないことがこのニッポンの清貧という土壌に根付いたことが驚愕の事実で、伯母や父のように九十代までキャロルが生きるとすれば、大変な朗報ということになります。毎日が言葉の洪水なのです。それをなかったことのようにあしらった人々は今、沈黙を守るしかないし、多くを語ること自体、やぶへびでしょう。キャロルは父の死の報を聞いて平然と創価学会の友人がこうのたまったことを忘れません。これはいわば南無阿弥陀仏の敗北なのよ?って。恐れ大きい発言です。