憧れの上司の形をみんなそれぞれ心に描くと思うし、その憧れこそが理想の企業生活の根本に位置する。俺も憧れる上司がいて、いつもその金銭感覚のシビアさに堪能された。しかしまだまだ俺は未熟だったとあの頃を振り返る。もしも優れた上司と向き合っていたなら、私生活の面でも堂々と解禁を開くべきだったろう。今の若者が内向きにならず企業戦士の原型を求めてスパルタするのを俺は喜ぶ。しかし女性や弱者をないがしろにする組織なら崩壊寸前。そこを常に胆に銘じることだし、国際社会では特に同様だ。同じことが言える。俺の親父は明治の男でたったひとつの贅沢は週一回だが、牛肉をさっと湯がき味付けして、俺たちの面前で食っていたこと、当時の食糧難でなぜ?と兄弟寄ったときに話題に上ったがニッポン上昇の鍵がそこにはある。どこかでガスを抜く、そういったガス抜きを、牛肉をみんなの前で美味しそうにひとり頂くことで、まっとうしたということなのだ。