俺とキャロルを結束させ結びつけたのが浄土真宗。義父の本をもう一回読んでみる。自然法爾章だ。難しい部分も確かにあるがこの義父が何を言いたかったのか、拘ったのか、その宗教家の一面が俺にくっきり浮かび上がる。凡夫をも往生させるその大きな如来のこころ・・・。そういえば、一歳上にいた義父の姉がいつもこう言ってた。弟が、京都にたびたび行くのは、命の洗濯に行ってるから、どうか弟を許してやってくれない?って。俺は今日さえ良ければの義父の生き方が大嫌いだった。しかし・・・ここに来て、こんな偉大な父親を持ったキャロルが、とっても羨ましくて泣きそうになるのだ。俺の両親の眠る富士町、光照寺。ここの美しい佇まい。ニッポンの原型であり、集落の極みだろう。跡取りはまだ若い四十代の宗教家だが、キャロルは彼のヴォイスをとても気に入り、しっかり政治のことなど話していた。こんな素晴らしい出会いをもらたしてくれた三十三回目の親父の本懐とは?俺は改めて敬服するのだった。