言葉は決して迷宮しないし依然として優位に立っている。いつもの論戦で、キャロルに大敗する俺の感想はそれに尽きる。どんなにこっちが理性や常識でかかったとしてもキャロルにはどうしても及ばない。自分の力足らずをひしひしと思い知り、それでも最後、男としての意地を見せないと、示しがつかないと攻防するが、男の意地にも老化現象という原則が負荷される。俺はスムースに勝てる自分になりたかった。本来ならそれが可能だったはずだ。俺はキャロルよりも社会的立場ははるか上・・・。それなのになぜ、彼女を屈服に追い込めないのだろう。ここにカリスマの本体があるのでは?金銭よりも優れるものがこの世の中にあるという証しかもしれない。