ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔89〕女性には独特の節回しがあって、男を立てているように見えるけど裏でさい配していて、それが伯母の採り方感じ方でした。男を立てて、表面上ことなきを得ることこそが特に家庭にある女性の美徳とも解釈しますが、キャロルは母のことに思いを馳せます。なぜ、しきたりを捨てたのか?伝統を鼓舞しなかったのか?やんわりとわかるのはもうキャロルが五十台になった頃で、女性には元々物事を荒立てたくはない、物腰の柔らかさ、そういった穏便な手法を用いた生き方が幸せを得易いというのはいえるかもしれません。それで母は余計、浮いて見えたのです。ああしてまでキャロルにニッポンの思想はゼロなんだよ?といわねばならなかった聡明さ。それが理解可能になったのも当然今です。書いていないときには、気が付かなかったことが、ずっと書く事を続行することで見えて来た。そしてむしろ・・・相手の方から開襟を開いてくる。世界の女性たちの開眼は意外にも速いでしょう。母はこの不摂生ともいうべきニッポンの思想体系に警鐘を促したし、それをキャロルに伝言したのだということです。この子はいずれ解明してくれるだろう・・・なぜなら、キャロルの生まれた七月十六日は脇田大佐が海軍少尉候補生になった日。単なる符合ではない。キャロルが彼の生まれ変わりである可能性は日々高まっています。男の口で戦争を語ることがはばかられた事情も解消されるし、1940年五月二十五日付け大阪朝日新聞に脇田大佐の名前が・・・なんだかじゅわ~っとこみ上げてくるものがあります。