ルビー・ウーマン《復讐の館編》〔98〕昨日の夜はキャロルが生まれた年に発表されたヒッチコック監督の間違えられた男を観てとても感動しました。あの誤認逮捕された男の冷静さ、素朴さに打たれてしまったのです。自分は何も悪いことをしていないのに、それを証明出来ないくやしさ・・・。もしもあれが自分の身に降りかかってきたら、果たしてあんなに冷静でいられたのか?こうやってしたためていても蘇ってくるのです。容疑が晴れたのは真犯人が捕まったからで、あとからその犯人の顔を見て、似てないじゃないか?とキャロルは不安になる。自分ももしかしたら、場合によっては間違うこともあるのでは?と。似ていないのに、なぜ、似ているとそう証人達は思ったのでしょう。もっと速く真犯人が逮捕されていたなら、彼の妻もこころを病むことがなかったのに?と。ザ・インターネットという映画ももう一回観てなお示唆をもらいます。自分が悪いことをしていないのに、冤罪に打ちのめされる。なんという人生の恐ろしさでしょうか。四年間もそこに住みながら、近所に誰も証明する者がいないという現代社会の闇。こういった苦境を見事に彼女はクリアしました。助けたのは彼女のパソコンのスキル。速さと技能水準の高さが彼女を救ったのです。今冤罪で苦しむ方々は是非この二本を見てください。自分を救うのは真犯人と自身のスキルであることが明解になり胸がすっきりします。主人公の身になって考えてみると、悪いことをしていないからこそ、冷静で居られたし、とことん闘うことが出来た。きっとこれが言論の自由の根拠だろうと・・・。