俺の年金より、妻の父親の年金は多く、それをバカスカ使う姿に俺のこころは疲弊した。京都にも何回行ったことだろう。それを支援したのが姉のマレコだった。四月三十日は命日で、その希子という人物こそが、俺の尊敬する人。こういう目立たないがそれなりの力を有した縁の下の力持ちが恐らくこの国の基盤を支えていることが俺のアンシンでもある。いつも四人で食事した浜の町アーケードの庄屋レストラン。俺が義父を怒鳴り上げ、いつも姉が弁護した。京都には命の洗濯に行っているの、どうか弟を了承してあげて?って。伯母様である希子なしで、妻の今はなかったとつくずく思うのだ。そして、バンカーの目で見て、義父とその姉、男と女が逆だったなら、恐らく和田家は全然違っていただろう・・・と。