ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔72〕もしかしたら、キャロルがこの国の民主主義の扉を開通させるかもしれませんね。片側しかまだ、開いてはいないからです。キャロルは小さいときのこの五歳までの数年間を語ることで、ようやく日の目を見るのでは?キャロルではなく大衆の目がやっと開くということです。父の自分は特別だと思う気持ちは旺盛で、その頃はアパートに風呂はなくて、近くの銭湯に通っていたんです。男風呂に入るとき、女風呂に入るときの両方で、気持ちに差異はありますが、父も母も精魂込めて、子育てをしていたからでしょう。不快な気持ち、不安な気持ちには駆られません。あるとすれば、母からはあの迷子にされたとき、そして父は抱きしめてくれるのはいいことなんですが、赤ちゃんなりに苦痛だったのが、口臭です。逃れたくとも、これは赤ちゃんですから攻防出来ない。キャロルは生まれて初めて、我慢というものを経験します。世の中で生きていくのに、これくらいは当たり前。堪えてナンボだろうか?と類推しつつ、最も赤ちゃんにとって、辛かった両親の喧嘩については、12くらいは列挙しないと埒があかないし問題点を追ってみましょう。まず喧嘩することは赤ちゃんの感性に悪いとふたりはわかっていて喧嘩に突入だったということ。教育者ふたりガンクビ揃えてこうなのですから余程、注視しないといけません。喧嘩が始まるとモノを投げる癖が母にありました。まだプロレスの方が幾分救われたというのは危険度からですね。お茶碗の欠片で何度も血を流し、父は畳の上に散らかった食べ物を拭きました。卓袱台返しこそ迷惑千万でしたね~