ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔67〕こういうアパートでの、のけ者状態を母は悩み、新天地という三文字に思いを馳せます。このアパートを離れれば、わかっていたことは、学力の低下、そしてピアノの教師からも随分離れてしまうことでした。しかし、母は、のけ者にされて鍵っ子だった娘がもっと、荒れて、手の施しようのない子供になることを恐れたのです。それは早期教育のブザマな結果でもあって、母は、零から出発することが子供の目をあざむかない唯一の方策だと信じたのです。なんという果報でしょうか。容子の名前自体、伊良林小学校の教え子の名前から採ったのです。教師を辞めても、この名前が持つ絆は永遠のものです。まず、娘が改心することが第一でした。そういえば、こんなことがあったのです。純心幼稚園で、裸足で、アパートまで逃げて帰ったこと、よく尋ねると、キリストをそう簡単に信じているみんなが、解せなかったと・・・。アーメンとみんなが言っても、それを自分も同じようにやることが、体制そのものが怖かったと・・・。幼稚園からは、けちょんけちょんに注意され、揶揄されました。どんな教育をしてきたのかを?でもこの子には特別の勘がすでにあって、熟すというよりも、生まれたときから、いいえ、子宮の中ですでに育まれていたとするなら?無理もない。母は疑いませんでした。何度も近未来を当てることがあった。例えば、小鳥が死んだとき・・・。あの子はもう死んでいるって。そして、お母さんのお腹には、大切な王子様がいるんだね?って。それは事実になった・・・。