今朝の日溜りで、純という言葉をもう一回、おさらいしよっか~どうも勘違いしている傾向あるからだ。あの昼顔がテレビであったときにも全然だった。確かに興味を惹く題名ではあったけど、カトリーヌ・ドヌ-ブのようにはならなかった。しかし、弟も言ってたように、ニッポン人には世界に轟く感性があるんだ!ってね、そいつを見極めることが先決なんだ。奇しくも、小椋圭さんがあのふくの湯のテレビであってた。謎の人物を人々が知りたがっていたし、その時点を与えたメディアこそがNHKだった・・・。なぜ?ってならない、本当の小椋さんの気持ちなんだよね、出たいのか、出たくないのか、出れないのか、出るのは早いと慎重論だったのか、実に興味深くてね、キャロルは大きな画面で見ていたんだ。リクライニング室を出てね・・・。そして黒い川っていうその歌の中の一節に共鳴した10代の後半を思い出した。あの節だけで、なんかこう、満足があった、自分だけが、悲しい思いをしているんじゃないって。少女よ~泣くのはおやめ~ってね、音楽の力って凄いってね、そういう大きな気迫に押されてキャロルの今日〔こんにち〕があるんだなあって。