ああ、でもね、その映画から参考語句をちゃっかりもらいますがねん、愛は股間をさまようという言葉に対して、キャロルが思う本当の愛って違うんだ。愛は語幹と互感に位置する。つまりね、語感や五管、五感、そして語間、これらすべてを本当の愛は掌握するけど、その中でもこの語幹と互感を取り上げたいんだ。なぜか?人間は言葉を駆使する動物。だからこそ、言葉は生きるってことなんだ。本当のラブストーリーを書きたいなら、セックスを追い求める手法は時代遅れもいいとこ、そういうモノに、人は本心から惹かれないからだ。へそ下三寸に生きる人間ならまだしも本当のエリートなら、ニッポン女子なら、セックス異存主義的な小説って、三流じゃないかな?ま、キャロルの見立てはあくまでも予想だからね、本当に民衆が欲する、欲しているもののレベルは法外にも高いということだ。