ルビー・ウーマン《復讐の館編》〔70〕キャロミッケで、昨日夕方、とんでもない事実に気が付いたんです。いつもと違い、父が、どうも弟とののしり合いをやったみたいで、父が布団から出て来ない。具合が悪そう?とも思い、額を触るも特別熱くない・・・。きっとまた、お金のことで、失った土地のことで、小競り合いあったのかなあって、もうこうなったら、好きにやれば?って思うし、父も言いたいことは黄泉の国まで行かずとも全部吐き出してもいいさ!って、キャロルは、自由闊達の気持ちになっていました。あのふくまる旅館を夕方観るせいか本当に変わってきたんです。木の実ナナさんは、自分の甥っ子なのに、告げず、帰るんですが、ああいう生き方っていいなあって。死ぬまでの余命、好きなことを、そいでもって、自分の甥っ子のいるふくまる旅館をバスガイドになって目指した・・・。構想が壮大ですよね。出来ないと、諦めず、頑張って辿り着いた彼女でさえ、温かい家庭は壊せない・・・って自分の計画を変更したようにその場その場の舵取りって大事なんだなあって、キャロルは考える処大だったんです。父の頭は確かにもうろくしているけれど、その場その場の記憶っていうのに、確かなものは混じっていて、いちがいに、それは却下とも言えない、生々しさがあるんです。きっと、キャロルを娘だということはもう記憶の彼方にあって、それでも、父の人生の中で、凌ぎを削ったものたちが、台頭していて、この時期吐き出されたものを父の身になって主観的に詠み込むことも娘ならでは可能。確かに代理出産のようではありますが、父が拘ったあらゆる事項があからさまになって、俳句、とりたて、辞世の俳句の様相を替わりに詠むことも親孝行のはしくれ行為にはなるかなあって。自己満足の域ですが・・・。そして音楽視野になるもう一点に気が付きました。