今朝のキャロルおばあちゃんの日溜り日記は、キャロルが本当にやりたかったことは?意外や意外、チトーみたいなピアノバー経営だったんだ。そのピアノがあれば何となく高級感がリード出来てもちろんマイクもいつもあって、時にはお客さんが歌いたいって中々、マイクを離さなかったり。これも大変なんだ。激減っていう字をつい最近までゲキヘンって読んでたキャロルが自分を文豪だ!っていうのに等しい歌手錯誤者が現れ、店の物品を離さないとなると慌てないといけない場面。そういう難儀があるのは、実際のアクチュアリーな時間の中にいるからなんだ。時間と空間を説く鍵にもなるけど、キャロルがここで書いているからといって、キャロルが現世にいます!っていう証明どこで取れる?結局、イヴェンチュアリーにキャロルを押さえるってことは難しい行為なんだ。そういう意味でのゲームだからの安心感っていうのはある。大佐になって司令任されようとも、物語やゲームの中で傷付き、負けたら負けたでまた挑み、それを兵に鼓舞すればいいから。ああ?!って思わない?つまり現実にいる証拠〔シルエットではなくアリエット〕っていうものが万人たる顧客は欲しい生き物なんだよね?大衆の論理的位置付けにもなる。チトーでマイクを離さず歌いたくとも店側の気持ちに配慮できなくっちゃあ社会人とはいえなくない?そういった意味での安全運転になら、キャロルは鋭敏になれる。それは伴奏の仕事をやってたから。人生ではほとんどムダがない・・・という語彙は本当に深淵だから、じっくりその沼に落ちないように気を付けながら、覗いてみるべきだ。あの大藤准教授の言葉に回り道は近道ってのあってね、ここでも納得したんだ。正確にはさせられただけど・・・。