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 僕等はとくと聞いてきた世代だ。政治家になって世の中を良くしていくことは名家に生まれたサラブレッドにとってこの上はないの道のりなんだと・・・。しかしそれは思い込みであることが昨今にわかに分かって来た。政治家は上流家庭で育てられた人材が多くてこの図式が尋常としてある。東大を卒業して官僚になって地方政治家へ転身。こういう道のりを経て来た人々が何か特別な着眼点があるとは思い難い。まだ、二世議員の方が増し・・・。親や祖父の背中を見て過ごしてきた時間の積りがあって、ああ、こんな時にはこうするんだな?は絶対にあったはず。僕はだからここで踵を返す。二世議員の方がまだ、東大出て官僚コースよりも増しであるを論説としたい。なぜ、こういったノーマル路線がダメかというと想像力や創造力が欠如。想定力は人よりも倍増しであるといったお粗末ぶり。こういう人々が仕切る日本社会は想像を絶する貧困に見舞われる。僕がしっかり指揮系統をこうして序盤から握ることが国運を上げることに繋がる。高校無償化も富裕層まで無償化なら意味はない。僕等には富裕層と貧困層の格差を埋めることが国運を挙げていくとの目星を持ってその序盤に立っている。どうすればラッキー富裕層から金を気持ち良く徴集していけるか??そこがある。だから高校に行ってのんべんだらりと過ごして無償化なら全く意味は無くなる。僕等の世代には時間がない。かつて放映のズバリ当てましょうのようなものだ。時間内で決められた範囲内で買い物を済ませれば優勝という枠組みにある。

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 昨日は時間内に大学病院に支払いに行き驚きます。まさか、パーキングで待ちがあるなんて・・・。土曜日は緊急扱いで近所の病院にも病気したことがなくて罹り付けがなく予防接種は生まれた病院でしていた孫ですが、初めての熱で緊急で行きまだ、朝七時台だったことで空いていたのですが、昨日の混雑で私は目が覚める。長崎にまず足りないのはパーキング!!グーグルガイドが出来ることで少し忍耐も付いて、娘からアドバイスがあった。誕生日第一声にタリーズコーヒーを奨められていたのも起因して決して焦ることなく入庫出来るを待つ。長大にはローソンも入っていてそこに入ろうとする時間もない位、支払いで待たされます。土曜日に診療したので連休明けの火曜日に支払いますの文言を選んで帰宅していたのでじっと待つしかない。結局、待って疲労している自分に、問い掛けてみるのです。貧乏人のくせに待つことさえが疲労ならこれは我慢強いの反対語が必要になる場面だぞ??って。我慢強いの反意語?確かに存在しない。替わりになる言葉を探しているうち、見つけます。ここはカード支払が出来る病院であること、主要なクレジットカードは適用です。タリーズにやっと入って、そこでモーニングを注文します。家族が羨むようにホットティとホットドッグのセットを注文するのです。こうして私の63歳は幕を開けたのです。

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 今日は偶数日で、マレさんの気持ちを僕が代弁する形ですが構いませんか?今日は貴男に任せるわ!!ええ?それでいいんですか?まじっすか??僕は昨日、横綱に挑戦する明生を見て構想が挙がっていたんです。横綱ってどの横綱。ええっと、鶴竜ですね。明生は結果的には負けたんですが、この結びに登場するということは力士の誉、最高の栄誉なんです。そうでしょうね♪そこまで上り詰めてきた明生も偉いし、盤石な相撲でベテラン振りを見せつけた鶴竜も素薔薇らしかった。明生と名声を掛けたいんです!!いいわね~~特別な言葉、綱取りで、この川柳を完成させたい。綱取りって??横綱への挑戦です。じゃあ貴男に任せるわ。とりま、言わせて下さい!!ハッピーバースデイツゥーマ~レ~~ありがとう!!とっても嬉しいわ!!じゃお願いね。名声を 上げる綱取り 結びかな☆昨日は負けても今後はわからない。若者の挑戦は今後も尽きない、明生が架かる☆

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 貧乏であっても強い正義感があれば悪いことに手を染めることはない。そういう点で僕は自分を評価出来る。大体、貧すれば鈍する路線に陥り易い。たとえば僕だって千円落ちていれば拾うしそれをいちいち届出はしない。しかしもっと世間でいう処の大きな問題にぶつかった時に僕は理性的でいられるし、聖論〔新語で正論の反意語〕を吐き出せる。この時の自分が好きだ。例えばどんな時でも僕は自分の主張を曲げない。しかし、こと姉に関してはルーズさは浮き彫りになっているし、そこが僕にとっては争点になる。僕は姉が女性だから弱いのだ・・・と随分長い間思って憐憫の情も保ってきたが、全くそうではない一面を昨今見せて来た。姉はずる賢い人間だと今の今、そう鑑定する。この狡さは幼い時の姉にはなかったものだ。最初の7年間の結婚生活とその後の33年間の結婚生活、合計すると40年の結婚生活を経て、姉の狡さに磨きは掛かった。それを言う時の僕の悲しみはいかほどか、みんな、察して欲しい。姉は当初の僕にとっては母の次に愛する女性だった。それが何と今は63歳になって僕を睨みつける。しかしそれでも思い出すのだ。姉が幼い頃や、十代の頃の美しい感性をまだ心のどこかに持っているとすれば・・・?もしもそれを僕が認めることが可能なら、僕は生きていて良かったと嗚咽を漏らすことだろう。

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 僕の中で旺盛なのかもしれない。何かいいものを吸収したい!!っていう思い。ジェラシーを超えて立ちはだかっている、いいものへの憧れが盛ん過ぎて僕のジェラシーは膨張してしまうのかもしれない。この前のバリウムの粉を飲み込む時も僕は失敗している。ノドの奥へ持って行き後はそれを水で流しこめばいいものを、構えが過ぎて吐き出してしまう。頑張って!!もう一回入れましょう!!と女性検査士に促されて二回目でようやく飲み込み、次渡された大量のどろっとしたドリンクを残さずゆっくり流し込む。しかしここまで検査を受けて頑張ったとて、ピロリが有無かどうかの検査はダメだと断られる。やっぱりか・・・この規定とかルールがどの世界でも蔓延っている。一番悪いのは胃カメラを怖がって出来ない僕にあることは解っていても、ことの他くやしい。日本男児に生まれてこの方、胃カメラが苦手でまだしたことがないっていう男子。この世にいるのなら僕は嬉しいし握手して万歳三唱だ。しかし来年から自分を変えたいとそう思う。今の今はまだ変わりたくはない。パートナーが見つかってからでも遅くはない。本当の自分探しも始めたいし、それで十分間に合うだろう。僕はこの、びびり家という屋台を引いている限りダメな感じはする。しかし来年はオリンピックイヤーだ。何か奇跡のようなものが僕を国民を網羅する。この戦慄は人を巻き込む嬉しい旋律だし、昨日、長野オリンピックスタジアムで行われた巨人対ヤクルト戦も近年にない素薔薇しい試合だった。