サファイア・マンs209 私は象徴的な絵画を模索するのと同位に心に造詣するイメージ短歌を自分の主体にしようと活気付くのです。例えば、印象に残って消えない光景、そしてそこにまつわる自分自身の感傷。それらは人それぞれが、各人違うものを持ってはいるものの、ある言葉で統合される可能性に気が付くのです。自分だけが知っていることを衆知の存知に格上げするアッパー作業。これには賛否両論あるでしょうが私は強いテリトリー意識を展開していったのです。なぜなら命を生み出す家庭人の地位こそ、低いままの状態だったからです。家庭人の言ったことなんか、誰も記事にもしない、いいえ、故意にそうされているのではなく、まだまだ力不足なんだ!!と猛省の方向に走ったことが効を奏じ始め、嬉しい手ごたえを禁じえなかったのです。それと同時にコミカルにも脅威を抱き自身の中で育てて行こうとのもくろみにあったのです。ウルトラマンはM78星から来てはいるもののいつでも、私の手配で星に帰らせることが可能だと短歌に詠んだのです。なぜ、それをする必要が?と思ってはいけません。なぜなら普段通りでは家庭人は潰されるしかないのです。自分を立脚する手立てもやはり言葉が鍵を握っていたのです。