サファイア・マンs198 この年代層でもこれだけのコントラストを見せていて、しかも敗戦しようと何があろうと、自信を全く失ってはいない女性の根拠。彼女の気持ちに及べばもっといい戦争を決行出来ていれば戦争勝利はあったかも?とそう思っているのか?といえばそうではないようで、そこをつまびらかにしていけば日本という民族のすべては開帳に及ぶ。教員の身でありながらそういう考えを持つことはどう見ても不自然で、じゃあ、敗戦のくやしさを一体どこで払拭したり今後の糧に出来たか?という論点も浮上してくるでしょう。恐らくは教育。そこにすべての答えがある。伯母が私の母が小学校教諭を十三年務めて私の弟の出産で辞めた時、それはそれは残念がった。母は家でゆっくりしたかっただけ。経済的にも困窮してはいなかったけど伯母は辞めたことを後生自分のことのように惜しんでいた。その様子に母は嫌悪感を抱く前に、その論点の誠実さを実は悟っていたのでは?と思える節もあるのです。誰もが苦しい時に、それを辞めてしまえばどんなに楽だろう?って自分を中心にことに及ぶ。しかし周囲は全く違う見方をしているケースが多い。伯母にことあるごとに、行動をたしなめられて、生涯辞めたことを言われる間、母には一抹のくやしさもあったのでは?と。誰にも言えない心の氷壁まで伯母が及んできたこと、この強い伯母ならやりかねません。