エメラルド・ウーマン《深窓の令嬢ダブリュー編》〔80〕里子は可愛い楕円形の弁当を買ってみたい衝動に駆られます。長崎の角煮まんじゅうを食べたことは無かったけれど、しっぽく料理の角煮は数回食べたことはあって、こんなに時間と手間を掛けた料理はそうはないので、その弁当に一回で魅せられてしまったのです。お弁当の中で角煮がでんと座っているのです。冷めても美味しそうに見える弁当に心がざわつくのです。送料無料が通販のアイ言葉だった頃を思い浮かべます。この弁当は四百円を出てしまい、里子にとっては贅沢の域にある弁当だったんですが、賞味していることも必要不可欠なことを予感するのです。角煮弁当は他のおかずが全く要らないくらいに堂々とその場を牛耳ってなおかつ他を受け付けていないのです。私達の老後もこうありたいものだな!!って里子は直感します。贅沢感をどこかに残しておく器用さも求められているということです。そういう我儘は受け容れられるだろう!!って。なぜなら、高齢者はいちがいに歳を食っているとは言い切れず、様々な層が含まれ始めていたのです。三丁目の夕日族が、もういっぱしの中年期の末期を迎えていることがその内訳を明瞭にしていたのです。そういえば、里子の従姉だって、六十五歳になっているのに、ガンガン音楽鳴らして車で横付けして来た。これは、誰にとっても避けては通れない、壮年時代から起っていた自序革命なのです。