エメラルド・ウーマン《深窓の令嬢ダブリュー編》〔79〕里子にも将来を盤石にしたいという基本的な希望もあるにはあったんですが、勝負を掛けるべき時も、同時に解ってきていたのです。どんなに些細な、日本の一億分の一の自分ではあってもこの国に私という人間はひとりしか、いない。そこを思うと怪訝な気持ちも吹っ飛んでいつの間にか真摯な個人に戻っているから不思議です。恐らく道行く人々は私のことを普通の人間で、取るに足らない人間だとそう推量するでしょう。しかし自分まで、そう思ってはいけないことにハッとするのです。他人達がどう評価しようとも、自分の道のりが昨日と全く同じであっていいはずもなく、里子は川柳の本流についてを鑑みるのです。友達の家に行った時の話です。その八郎川の水流がガクンと一段下がった場所に家が建っていながら、彼女は、八郎川がどこから流れてくるかを知らなかったという一点。自分達は故郷のことでさえ詳しいことはさっぱり知らないのでは?って。そういえば里子自体、五三焼きカステラを食べたことがなく、四海楼にもまだ行ったことさえないのです。ふるさとは遠きにありて思う場所?岩崎の角煮まんじゅうさえ、食べたことがない自分に戦くのです。埼玉が不案内のはずです。