アクアマリン・マン《真春と真秋の間編》〔28〕俺はある週刊誌で凄い明確な記事を目にする。貧乏な中流と、金持ちの中流の、線の引き方を読んで溜飲を下す。この数種類の物品が色分けの材料になっていて実に解り易いのだ。まず貧乏な方が発泡酒を飲む。そして車は軽か、もしくは一家に一台。そしてこれも分け方に入っていた。イオンにいるのは貧乏で、いない方は金持ち。俺はその時に一瞬ええ??と疑問を抱く。なんでだろう、なんでだろう?はずっと続行して、こんなイオンのハイカラを正しく体現している、かつての嫁さんが頭にあって、信じられない思いになっていった。都会のイオンと田舎のイオンの違いがきっとあるのだろう。田舎にポツンとあるイオンの場合、なんでも揃うから、盆と正月的なお金の使い方で、イオンでひっちゃかめっちゃか使ったりした記憶があって、それもこれも嫁さんが払ってくれた。当時の無職の俺にしては贅沢過ぎる贅沢で、感謝してもしきれない恩があったことも記憶に新しい。しかし今の別居の状況の俺は中々イオンに足は向かない。ここには、家族ですよ~~っていうような固まりで闊歩するファミリーズが仰山いて、俺のい場所さえ、疎外感溢れたものにしてしまう。その危険性大だ。俺はだから、マックスバリューに行き煙草を吹かす。このベンチに座っている時に、天国と見間違うような境地にまで達するのだ。