イエローダイヤ・マン《標榜編》〔498〕俺が最も悲しかったのは自分以外全員が俺のことを笑っていた時。それには理由があって、俺の誕生日に実は全員友達がしかとしたのだ。俺は本当にしかとされたと思い、とことん思い詰める。しかし時間が限界まで来て、ポーズだったことが分かり俺も溜飲を下ろす。しかしやはり悲しみが消えない。なぜだろうって、あれはドッキリだった!!ってそう思おうとしても払拭が完全ではなくその時の仲間の何食わぬ顔が浮かぶのだ。俺は友達との境界線をその時に知ったように思う。ミテクレこそ親友だった者達の浅い見解や配慮。たとえ、それが俺を驚かそうとしてやった事でも俺には脅かしでしかなかった振り分け。肝っ玉が小さいって言われればそれまでだが、俺の感覚にはそういうのはありえない。例えば友達がそれをしよう!!って言っても撥ね退けるって自信がある。いっ時でも仲間外れにされた悲しみは並大抵ではなく冗談も程ほどにしておくべくだ!!と譲れない。例えばそういうおかしみで生きている者ならどんな事にも波乱万丈だと言って退けるだろうし、波乱万丈の人々は健気に生きたからこそ今があるものの、当時どんなに大変だったかは本人や周辺が知るのみ。俺達は近い親友であればある程いつも正直でいなければと思うのだ。