イエローダイヤ・マン《標榜編》〔442〕俺はニュースを見ておよよんとなる。なんと西郷どんに厳しい批評が付くものだ。浅いというその評価に俺は遮二無二奮い立つ自分自身を禁じえない。しかし脚本や歴史考察にまだまだ未熟な俺が大層なことを言うのも身分不相応で、これもひとつの人気の証しに違いない。そう思うことにしたのだ。特にあれだけ人気絶頂だった不動の藩士、島津家の島津斉彬に憧れ続け、仕舞いにはその人気を軽々追い越していった西郷隆盛の出世術に、俺達若者にはない新境地があって、先週分で俺が感動したのは、若き日の西郷が、ちっとも悪びれず、中々帰郷して来ない斉彬にこういったセリフで己の気持ちを吐露していたこと。斉彬様は一体なぜ、逃げておられるのか?その若武者の疑問に俺はハっとさせられた。若武者には逃げているようにしか見えなかったという新しい観点で、どんな異変があったにせよ、今みたいにすぐ様メールで送信とはいかない当時の通信事情を噛み砕いてやらないといけない...とまず思った。俺達はこれだけの情報化社会にあっても、お互いのコミニケーションが取り辛いな?っと崖っぷちに追いやられる時は実際あって、そういう不遇の世代に陥る事がないよう、全力で対処したいものだ。