アクアマリン・マン《真春と真秋の間編》〔10〕母親に対する愛情の度合は俺の場合一緒に暮らした時間が少ないゆえに希薄か?と思ったが探し出してからの俺のそれは倍増しで母への愛情は深まったように感じる。同時に責任も感じ初めてなぜ、そういった責任論まで到達したか?というと心の余裕だろう。ひと昔前ならさらさらそういう状況にはなかった。嫁が息子をひとり占めして俺が時間的空白を味わうことが常になって、しかし驚くばかりの成長を遂げて、息子が優秀男児としていい官僚になっていったとして、そこに中身はないのでは?と息子を不憫に思う。この国がまるで韓国と同位の成績主義になっていったのにはひとつ、公務員先見主義があっただろう。いい家の当主が至って口にしたのは、役人になれればそれ以上はない!!という別格主義で、俺のような田舎町でも公務員は滅法尊敬され、仲間内でも優遇の域に据え置かれている。しかし子供は肌で、触覚で、感じ取っている。父親不在の寂しさだ。俺は母がいなくて随分取り越し苦労をしたし、息子だってこれから同位だろう。肝心なことは親父が知っていて、指南を仰ぐ姿勢が普通の家の在り方だ。しかし離婚をこっちから言い出せない。