イエローダイヤ・マン《標榜編》〔431〕俺達、コラムニストに出来ることは自分の情報をひけらかすことにはなく、どうすればこの国の未来を正常照準まで底上げしていけるかに重点はあって、情報の坩堝でただ身銭を稼ぐだけの情報屋にはないヒント力が求められていると思う。昨夜だった。西郷どんを観ながら俺は若き日の西郷がこれ程までに島津斉彬氏への憧れを抱きつつ青年になっていったこと。尊敬出来る上司を持つのと全く同位で、自分の身の危険を顧みず談判するあの姿に、今は全く見られなくなった薩摩を思う気持ちに匹敵するものが俺の中で迂回するのを禁じえず、全く彼のような若者がいなくなった訳ではないものの、世の中のシステムがチャンスルー主義に転じてしまっている現況をまずは指摘したいのだ。俺も人様のことをアレコレ言えた義理ではないが、昨日の映像の時代のおよそ百年後、真珠湾攻撃に至るのだ。そこをオーバーラップしながら見て行くと、中々一筋縄ではいかない、海外の人々をも魅了するという根底がわかったように思えた。たった一人の女性すら救えなかったと号泣する彼に、俺はもらい泣きしてしまう。俺も同じ境遇であったなら彼のように悪政と戦えた?答えは言いたくはない。