サファイア・マン《面白い男編》〔153〕ユニードでのまさかの捕り物帖や、夫が主因のさまざまな軋轢。そういった負の要素がようちゃんの心に影を落としたことは必至で、消費者はもっともっと強くあるべきなのでは?との観点でその頃いたと思うのです。ブーイングや消費者から起こるノーこそが大事でそれらを総括していくことで、時代の先頭を捉えることも可能であるとの見方。しかし一方ではそこまで懐疑的ではない自分もいたのです。こうして小さい秋的な幸せを見つけたからには、そこでの感嘆や発見を取り零すことなくしたためること、そして瞬間の気持ちを作曲出来ればいうことない!って。通信はやはり投函しか存在しません。ポストに入れて投函。このスタイルはなんと矢上に家を建てて帰ってくる西暦1998年三月くらいまで続行でもしもパソコンの一般家庭搬入があと十年早かったら違っていたのかもな?って。しかしモノをしたためる所作の大事さは昨今嫌というくらい言われていて、その意味ではようちゃんはしたためるの地球一位につけていたといっていいでしょう。宇部に転勤して毎日連続投稿になりますがまだ、この福岡時代では自分の身分も定まっていなかった故、本格的に書き出すということには至っていません。むしろ自分に見合ったステージは何なのか?あるならイマ見極めたい段階にあったと言えるのです。