エメラルド・ウーマン《深窓の令嬢ダブリュー編》〔42〕昔の投稿集を観ていると握り飯といっていたようで愕然ときます。オニギリかそれともオムスビと四語で一括されるイマと違って風情があって引き寄せられます。こういった昔の投稿集の一句でも現代に通用するものとわかり辛いものに分類されてニギリメシの五音が突破口を開いていくのです。今やコンビニはカード決済か現金決済。しかも自分で商品をピッピ言わせるジブンレジになっていたのです。こういった物凄いスピードで進んでいく情報物流社会の中に於いてそこで迷子になったように姿を消すけど、こうして立派に凱旋を果たしてくるニギリメシに見られるような商品をまずは掘り起こしに掛かるのです。コンビニがレジを抹殺してその人員を他の仕事に活性化させたように無駄を一切省き近代化に拍車を掛けたことの反対を追えばいいのか・・・そうすることで団子汁も蘇るのか?ケンチン汁もほうとうも再びの需要の苛烈に湧くのか?里子は二百円亭主という投稿集の中の言葉に目を奪われます。その昭和四十年代の後半、西暦1970年代を思うのです。どんなに現代が無機質なのかがわかるし、今なら千円亭主になるのだろうか?と。このお金こそがサラリーマンの弁当代兼オコズカイでした。