イエローダイヤ・マン《標榜編》〔280〕俺は今年の夏を絶対に忘れないしそれが日本時間の終戦記念日の一日前だったことも・・・。松山英樹を襲った悲劇をゴルファーの一日を俺は将来俺自身の糧として、これからも胸に刻み続けるだろう。タマがいうことをきかない。自分の思い描く方向へ行かずすったもんだする。首位と一打差で終わり最終日に誰もが勝利を期待しそれが叶う状況下だった。逆転の構図はいつも彼に勝利を微笑み、それが常套の図式だった・・・。何が作用し敗因をもたらしたのか今もってわからない。しかし俺も今ようやく立ち直れたそういう気持ちになってきた。お子さんもいるという。そういう嬉しさも知り、心のビハインドも揺り溶けていった感じがしていて何を持って勝敗を語るのか?そこに疑義を残したものの、松山が自分のすべてを賭けて闘ったことが確かなゆえに漲るものがまだ振動していてその振り子が俺を揺さぶる。余震のようにまだなお、揺さ振るのだ。俺の夏がそうだっただけに松山の夏を俺は噛み締め、男の涙を隠さない。いつの時代も敗者はそうだった。しかし芭蕉のようには俺は終わらないし、松山だってそうだ・・・ユメの痕にはしないから今の精神的視野が列記としてあるのだ。