ルビー・ウーマン《ロイヤル・ボックス編》〔202〕おぼろげながら思っていたことは観察眼で、その目をこらして何かを見つめなければいけないことがわかっていながらまだ、二十歳のキャロルには適合するものがわかりません。それでいいのだ・・・と納得もするのです。二十歳くらいで、先が読めて効果的な行動が出来るのなら人生平凡そのものでしょう。今になってわかるのは自分は長い桟橋を渡ってきたんだな・・・という回想です。富裕でもなく貧乏のどん底でもなく中流がやっと見えるくらいの位置。これがものをしたためていく時に大事な傾斜であることもわかってきます。もしも何不自由のない暮らしなのなら感じ入ることが出来たでしょうか?その一点は負け惜しみでもなんでもなくいぶし銀なのです。世界一受けたい授業で伊集院さんが、教育の八十パーセントはこれがあれば終わり・・・とおっしゃったので固唾を飲みました。人の心の痛みがわかることです。こういう人物に孫達を育てたいですね。それがどうしてもわからない大人たちばかりが増えてしまい済まなく思いますが、彼の心はどんな哲学者にも勝っています。ここまでしては相手が壊れてしまうのではないのか?そこを常に見ていなければ人として認められないのです。