イエローダイヤ・マン《標榜編》〔250〕包丁やまな板離れが激しくて出来ればお豆腐もサイコロに切って売ってあれば助かるのにね?同僚の女子達の会話に俺は耳を疑った。確かに俺も料理は得意とはいえず、ときどきじぶん飯を作るときは焼き飯が断然多い。しかし包丁はちゃんと使う。ピーマンやキャベツを使って魚肉ソーセージもきちんと切り揃えて、焼き飯を作る。パラパラしたご飯の方が焼き飯には合うし、ねっちりした飯だと滑りが悪い。フライパンとの相性が悪いのだ。俺がじぶん飯のレパートリーをもっと増やしていきたい!!とそう思うはなから聞こえてきた女子の本音。これが自分の耳かと疑いたくなるのも俺が古い人間だからなのか。サイコロに切ってあれば、確かに包丁は要らないし、調理の行く先は楽に違いない。しかしお豆腐の一丁二丁の話が、やがて三兆は損をするような気がしてならない。易きに走るそのぶったまげの悪魔の願いである。俺も今生はその台詞を聴いた日を忘れない。包丁がなくても料理が出来る七つ星の絵本というのが発売するかもしれず、震撼する。母親になる見込みがない女性が、わんさかいて向こう見ずにも発言する、そしてそれが絵になるニッポンの将来像はロンダフルかもしれない。〔マージャンのロンが架かる〕