ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔195〕自分の好きに人生を謳歌する母にも絶対に無視出来ない時間帯があって、それがバッキュームカーが各家を回って訪れる日の顛末で、その日だけはいつもとマギャクにあった。人を無視して気丈夫にも人生を涼しく生きてきたはずの母が問責に問われているのです。なぜならバキュームカーの係りの人達の熱心さで必ず汲み取りを終えたあと水をバケツ一杯かけてください!!と家人をそこにいさせるのです。母は月一回でありながら、その日だけは自分を借り出す勢力があることを脅威に思います。民主主義で、自由になったニッポンというけれどしがらみがあるじゃないか?と。それでも清潔好きな母はその日、どうやって出来るだけ他者とは関わらず、自分のやり方で、便所を綺麗に出来るのか?に苦闘したのです。バキュームカーの人と話したくはありません。一度だけ、居留守を使おうとしましたが、何度も呼ばれ、やはりバケツに水を張って待機せざるをえなかったのです。キャロルはその様子に意外なヒントを貰います。このバキュームカーの来る日、もしも用事があって出ていたなら何も杞憂することはなかった・・・母は正直過ぎるし、キャロルは少女ながら母の善良な部位にくみされてしまっていたのです。