サファイア・マン《面白い男編》〔137〕可憐な五百円の花束だけが部屋に残り、それでもまだ、信じられないような顔で黙り込む長男が、この花束お母さんにあげるよ!!といったっきり皆が笑い出しました。なんかペーソスがあって意地らしさがあるのです。その瞬間は二度と戻らない時間の片鱗でそれを再現させるにはやはり花を買いにいこう!!と決起した祝福感から始まっていた・・・と。キャロルはこの経験が長男の今後を変えるかもしれないな・・・とまず思うのです。むやみやたらに人の言葉に乗ることがその後は少なくなったかもしれません。まだ表現法を探している段階でしたが、ことの経過をいろいろな手段で形にすることを枠組みします。エッセイ、私小説、音符、短歌、詩、どれも自分の思いを即座に表現する手段ではあったものの適切がどれに最も宿るだろうか?とそこを言うなら記録だな・・・と優先付けたのです。小さなことがひとつひとつ積み重なって家族誌が出来ていくことは自分が書き手であることを中心にしています。もしも自分のことを誰かがしたためてくれるのならそれは何時だろうか?その瞬間、日常という大前提の下に家族がいることを認識するのです。