イエローダイヤ・マン《標榜編》〔197〕世の中が全く以前とは変わったな・・・という節目が恐らくこの言葉ではないか?と俺は推測する。セクハラだ。この四文字が世の中に台頭していなかったならまだ、未然にくるまれていたシロモノ達がどうだ・・・?この四文字が扇動して物事をセンセーショナルにしていき物事の四角を突き始めた。そしてたいして問題のないものまで、大袈裟と言う衣を付けて揚げる手法さえも常套の手段と化した。俺たちの規範ではそれを禁じている。すべての案件と手法が現実体験に則っていなくてはならず、そこがニューズリーだ。今もっとも気になるのは、マクロン大統領のシャツの襟の形で、これを着ているとそんなにカッコイイか・・・俺もさっそく洋服の青山で探す。すると俺と同じような質問をしている中年の課長補佐のような出で立ちの人物を見かける。影から見つめる。しかしマクロン大統領が・・・とはとてもいえなかったんだろう。最近みんなが背広の下からさり気なく見せている新しい形の襟の・・・なんという固唾を飲み込むお隣さんだろう。俺はすかさず背広という語彙の反意語が背狭ではない真相に気がつく。・せ・は背広の下からシャツの襟、ここに配慮だ!!が浮かんだのだ。