サファイア・マン《かけがいのない男編》〔135〕自分が苦しみに喘ぐときには世間の誰もが楽しそうに見えるし、自分が最高に嬉しいとき、世間を見る余裕はないことに気がつきます。何をそんなに悩む必要があるのだ??と逆に自分を遠見し、高笑いすることもあって複雑だったのです。父は一ヶ月に一回くらいは必ずハイツを訪問し自分の夢を語るのです。公募に眼をこらしどんどん投稿をすることを薦めてきます。どんなに実力があっても、それを宝の持ち腐れにしないための努力はするべきで、彼特有の平常心を語ります。もうその頃の父は選挙の無残な敗北者ではなく父自身が市会選挙の悪夢からは逃れていたのです。あつかましいタフな人間だ・・・父の変わり身の速さです。政治家がダメなら保険セールスマン、そして次は宗教家を目指していると息巻く始末。そんなに器用ならどうとでも生きられるな!!とどこかで参考にしている自分がいるのです。四年間のお水で作ってしまったツケを父はせっせと会社訪問して集金するため、キャロルのかつてのお客様回りをしていたのです。暇なときにはそうして娘の後始末に奔走する父を見ながら、うっすらと自分も将来は子供達やその後継者たちの世話を存分にしているのでは?との推量に至る・・・。父こそ聖職にはピッタリの人材でした。