俺が子供の頃母がなくなって母を入れたのは土葬形式のときに使用される大きな筒で人が入るようなつぼ型だった。時代劇でよく出てくる。座らせるように入れてしかもそれをよく覚えているのも俺が九歳だったからで、初めて死の儀式と直面して恐ろしかった。怖さが悲しさより先に立った例だったろう。兄がいて姉三人いたことが俺を支えてくれていたし、俺が一回まだ、キャロルと一緒になる前だったが兄弟の子供の結婚式を忘れてしまって行けなかったとき、兄はコテンパンに俺を叱った。あのことが昨日のように蘇る。俺は本当に行くつもりではがきも投函。それなのにドワスレしていて、起きて気がつく。もう間に合うはずもなく兄から電話がバンバンかかってきて、今でも会うとその時のことを長々説教だ。嫌な気持ちは全然しない。逆に嬉しいくらいだ。今はそういった兄弟間の繋がりが薄れてきていて、俺たちの時代にはあったかけがいのないこういった一幕が貴重になっている。このことだけは言っておきたい。俺の凱旋がなくなっても兄弟仁義は死なない。デルスカイしておこう、結婚式のドワスレだけはするな!!