イエローダイヤ・マン《標榜編》〔186〕・う・の項目としては次のようなガイダンスが付く。穿っていいのだ最後まで。つまり穿った言い方は実力が伴えば全然違う効力を発揮出来るということで、本来力を持っていると自負をしているのなら、穿ったら最後までその姿勢を通していれば何も問題は生じず、途中で口裏合わせをやるから物事の整合性が取れなくなってしまう。こういう時には一匹オオカミに学ぶのだ。すべてに関与はやはり当代随一の実力なのだ。東大ではおぼつかない。穿った言い方を随時出来る人物には経験と直感的視野がある。それに難癖付けるということは相当に世間の均衡性に厳しい人物だといえる。前者が新世紀型だとすれば後者は昭和型になる。昭和の風情は美しいがこの先、数々の新世紀型の経営者たちが登場してくるときに風前の灯として消えていくしかない運命だ。自信の源にまず眼をこらし、なぜ、穿った言い方でもまかり通っているかを見極めることが最優先だ。そこで、素直に負けを認められるのなら蘇生も可能だろう。世の中を動かしているのは経済や権力のようで実はこの国では、違う。そのシステムをいち早く見つけることが出来なければリーダーとしては失格組になってしまう。公務員ガイダンスはこの先すべてに適応かもしれない。