サファイア・マン《緻密な男編》〔133〕その頃のキャロルは継続が人生運行に必須とはまだ想像だにしていません。ひとつのことを毎日積み重ねることにそれほどメリットを見出してはおらず、むしろ考えていたのは人様の思考展開を軸にすることで、きっかけを得られないのか?との狙い。長女に頻繁に行かせたのはビデオ店でした、彼女がいいな!って思ったものをレンタルさせて、子供達も一緒に観るのです。まだ、VHSの時代で大橋時代の蓄積が及ぼすものは大きくて、例えばそれは中々勉強に身が入らない人間の心を闊達化させることに充当な役目を果たすようにキャロルの心をじっくり培養しました。その頃の鬱憤を自分が他の世界を観ることでどうにか、ことなきを得ようというものでしたが、それなりに孤独を跳ね返すことに作用しました。ホラー映画によって、恐怖心を煽ることによって、自分の位置の磐石さを確認し、違う退路もあることにほっとするのです。気分はいまいちでも世間の大きな流れからすると自分は安定した鞘にいるのでは?そしてなんと子供たちはもっと冒険的なのです。大人の苦しみなど子供にとって屁の河童なのでしょう。彼や彼女にあるのは実際、心の格闘にクリアを入れることで、自分が生き延びていくために知恵をあれこれ絞っていたのです。