イエローダイヤ・マン《標榜編》〔183〕俺の中で何かが崩れる瞬間でもあった。大リーグの中で有名選手にばかり眼がいっていた自分の考え方にひとつのスキルがあって、それが走攻守。このみっつを兼ね備えた選手の中でも、秀でるのが得点を稼ぐ打点性の高い人物だと駒を進めていると姉からメールが来るのだ。もっと目立たない選手も拾って欲しいって。例えば?って訊くと、シモンズだという。エンゼルスにそういえばいたな・・・しかしなぜ、シモンズなのだろうって。姉はこういうタイプが好みなのだろう。誰もが憧れるスター選手ではない部分をしっかり捉え自分の鞘に納める。手が届きそうなとこがいいのだろう。それにしてもエンゼルスは今年、相当に気合が入っていて、ソシア監督の笑ったときの、笑窪がいい。この監督とそしてカージナルズの監督が結構煩い監督で、試合さい配に関してはよく似ている同志だろう。選手達に自由を与えず出来る限り自分の意思を浸透させる、そういった意味で両者は拮抗していて、監督ガバナンスに於いて学ぶべき部位も多い。俺にはない組織図だからだ。俺にあるのは自由と野放図。ここから真理を引き出すことは危ういに等しい。しかし嘘から出た誠のように俺は振舞う。それがこの国をより無謀にしていくからだ。