イエローダイヤ・マン《標榜編》〔171〕漫画家が持っている常識の器は破天荒でしかも興奮の瑠壷に近いぞ!と、俺は小林よしのり氏の答弁を聞いて洗礼を受けた気持ちに発展する。一般人とは果たしてどういう定義でいいのだろうか?芸能人はえてして、一般人を頻繁に使い、識別をして久しいのだが俺の中で棲み分けが出来ている。無著名人のことだ。やはり、著名人となれば誰もが忖度の対象とし心遣いもやるわけで、これが無著名人となれば気を遣う場面もほぼない。無視してほぼ過ちは起きない。しかし例外的一般人として活躍している面々はいて、それが著名人ではないものの、誰もが知る一般人として尊重を禁じえず、そういうトップ志向の裏側をよしりんが捉えていることに驚く。やはり漫画家は心してきたものが政治家とは破格の差があるのかもしれず、こういったバランス感覚や未来予知力を俺は視座として持たないと、みずからが偏向姿勢になってしまうぞ?と己を引き締める。或いは政治家よりも多くを知り、その突発性を慮るときに、小説家たちの小ささを改めて危惧する。なぜならこういった時に、物申す人材がほぼ皆無。正しく言論の弾薬庫にそれなりの物はあるのだろうが、当分使えそうにも無く、期待も出来ない。物申す一般人に俺はなりたい!!と切望したのだった。