イエローダイヤ・マン《標榜編》〔169〕餅は餅屋という言葉の通りで、俺達が見ている時代のシーンそのものが幻影なのでは?とイリュージョン説に立つ裏側では、かまびすしく、一触即発の危険が報じられ毎日それこそ、情報の海に放り出されて、究明ボートを各人が持たされているかのように日々あたふたしている昨今だが、俺はそういう域にはいない自分をすでに獲得している。自分視座だ。個人主義といってしまえばずるいが、国の防衛は国からお金を貰っている人間の職務・・・危機に対応するのが当たり前でそのマニュアルに沿って行動して欲しいし、アメリカをニッポンが操縦出来るわけないと俺はどこかでシビア高を括っている。諦めとか、自立心がないとかそういう段階ではなく、お金をしっかり貰う人々が覚悟してあたらなければならない絶対職務に遭遇している、ただ、それだけのことだ。政治家も同位だ。国民は、国からお金を貰っている身分ではない。いわゆる庶民は公僕ではないのだ。よって、危険が迫ってますよ!!といたずらに炙りだして来られても実際、頑張りなさいな!!としか言えない。俺たち庶民はいわば自由人なのだ。思っていることを意見交換するし、必要があれば時に指南もする。それだけの存在でしかない。