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俺たち1943年生まれの人間グループは戦争のせの字も知らないくせに、その背を見たような気がしてならず、俺が小学校入学時、ちょうど百センチの身長であったことも言っておきたい。とにかく食うものがなかった。俺の母は唐津まで海産干物を仕入れにいきそれを行商で売って回る仕事をしていて、唐津の町へ行くとき俺もついて行くことがあった。そこには子供が欲しがるようなオモチャも満載でなんか寂しかった記憶がある。当然買ってもらえるはずもなく、しかし働く姿、母の後ろ姿を見て俺は悟った。幼心に母の勤勉さを知ってそれを凄いと思う。六人の子供を育ててなおかつこうして行商で一家を支えたのだ。さしすせそお母さんというのがあって、裁縫、躾、炊事、洗濯、掃除。このソには忖度が潜むと俺はしっかり頭に刻む。男を影で支える忖度の精神を母に見ていたから俺が思う結婚の基調はそこ。俺が九歳のときに母は過労で亡くなる。あの母を見ていたから当然キャロルへの採点も厳しくなってしまうが、今はこう思う。死んでしまうまで働かなくとも良かったろうと・・・。デルスカイしておこう。掃除の裏に忖度ありだ。