イエローダイヤ・マン《標榜編》〔133〕俺が持っている文筆能力は高くはなく専門性もない。それがどういうわけか、みんなが安心する要素をかもし出していて俺が知らないようにみんなも知らないことだらけなのがすこぶる発展的なのかもしれず、俺の内奥は干からびた河童の頭上のように乏しいのヒトコトだ。しかし俺には固定的概念があって、そこが類友意識を呼び起こすのだろうか、ドミノ倒しならぬドミノ起こしになっている。これからのニッポンわ~などと口が裂けても言えない自分をひょうひょうと傍観する。ニッポンの選択と今後のすべてを握るのは政治家や有識者たちで、俺達はそこまで関与することはなさそうでそこに落ち着く。無関心とは全然違う。俺達は選択し、烏合の衆を標榜したし、無気力でもなんでもないがひとまず政治の決着を大人煩悩にも委託したのだ。どういう流れにあっても本流は変わらない。存在感を極めて今日ある者こそがテリトリーを分かつし、これから急ぎ合流する者だって同位だろう。政治の威信を架けて奔走しているようで実は空しいばかり・・・。昭恵夫人が私人か公人かを極める真摯な気持ちすらこの国にはなかった。つ・ま・りもっと大事なことがすかさず浮上している。専業主婦は家人なのか?それとも私人なのか?こっちの方がもっと有益な論点として浮上してきた。