サファイア・マン《緻密な男編》〔121〕大恋愛の末に結婚したとか、長い春を乗り越えて結婚したわけではないリスクが悠然と控えてはいたものの、明日は明日の風が吹く!という精神的リラックスがキャロルの母親業を快活にしていました。自分がまず何をやるべきか?最上は特定されないものの音楽は着々と進行を見ていき、その春小学校に入学の息子に向け施すべき学習も上の空で、楽曲作りを展開していたのです。音楽も文学も思想の一部を担うもので、何も為政者や思想家だけが政治に関与との姿勢にはなくそれがいつか国の発展にダイナミックに作用することをアーティストでなくとも予知済みだったのです。完成まじかの楽曲をあと2フレーズだけ残して食卓を考える・・・とても有意義で誰に聞かせることもなく観客はいつも子供たちで、そこまでいくとまるで自己満足のように見えはするものの絶対音律は確立され今こそ歌謡曲をもう一度!と思うキャロルですがあの頃はジャズの構想に素養していたのです。どうしようもなくセンチメンタルなジャズスイングに匹敵するニッポンのリズム真骨頂は恐らくあのフォークを皮切りにした16ビートに違いない・・・と。しかし自分はロックに納まることにはならないし、出来れば語りかけるような、言葉の強みや叫びを生かした楽譜を展開し、それはそもそも文学の57577に流れを分かつような詩歌配分にも精通しうることが最優先で、人々の脳裏に残りうる言葉介在が絶対あるべきとの一曲完成理論でいたのです。